反転可能性テストって何だ?
井上達夫氏の「法という企て」や「自由の秩序」なんかを読んでいると「正義」がリベラリズムの重要な前提であるという。
私は、リベラリズムを自由主義と考えていたが、今ではこういう輩は「リバタリアニズム」とかいうらしい。
さて、井上氏のいうところの正義って何だ?
これは、リバタリアニズム、ユーティリタリアニズム、コミュニタリアニズム等の正義の諸構想ではなく、これの前提をなすもののようだ。そして、この前提としての正義は、「普遍化可能性」が重要なキーワードとなる。
普遍化可能性は、要は普遍化不可能な区別は正義ではないということであり、帰結として「反転可能性テスト」が導かれるということになるとのこと。
簡単にいえば、自分の正義が正義足りうるかを考えるときに、その正義を押し付ける相手と立場や視座を反転してもなお受容できるというものでなければ正義ではないということのようだ。
自分のされて嫌なことは相手にするなっていう簡単な話に聞こえるが、具体的な事例にあてはめると難しい。
なぜなら、正義を装っているものを除くには反転可能性テストは強力だが、殆どのものが正義概念に入らないように思う。
次回、反転可能性テストの具体的なあてはめをやってみたい。
以上、あたまだしまで。